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2011年3月22日 (火)

東日本大震災に思う

一月以来次女の出産の為、葉山に滞在し3月6日にやっと我が家に帰ってきました。ブログも更新しなければと思っていた矢先のこの地震でした。3月11日は定期検査の為に病院に行き、買い物をして2時40分頃帰宅し、自宅駐車場で車を降りトランクの中の荷物を取り出すべく顔をトランクの中に入れたとき下半身が異様な揺れ方をし、”??何”とふたを閉めた途端ガレージの屋根がガタガタと音を立てユッサユッサと揺れ始めました。これはちょっとおかしいと道路に出た途端、立っていられない揺れに急ぎ隣の空き地に走りしゃがみ込みました。”電信柱倒れても大丈夫?””両側の家がたおれこんでくるか?”等以外に冷静に自分の位置を確認していたことを覚えています。あの横揺れは初めての経験でした。間もなく揺れの収まったところでお隣に声をかけたりしていると東京に行っていたキャプテンが車で帰宅。駅から車に乗って向かう途中に異様な揺れを感じまず自宅に戻ってきて、とりあえず我が家の無事を確認して、工場が心配とすぐ走り去りました。

自宅は台所の食器棚の一部の扉があき、食器が割れ散乱していました。唯1階はその程度でで済んだのが意外でした。二階はキャプテンのへやは周りの棚やタンスからCDやら小物が落ち足の踏み場がないくらい。まあ物が多いとこういう事になりますね !つけたテレビからは大変なことになっている事を知りこの時初めて足が震えました。すぐにキャプテンやら娘たちに連絡取りましたが誰とも連絡取れません。長女の所は孫娘が保育園にいます。鎌倉で海にも近い所、二人の弟たちも海に近く津波のことが心配でした。結局長女とはとぎれとぎれ連絡取れ、大崎の会社からタクシーで帰るということは確認したもののいつ帰れるか。保育園とは連絡取れ(固定電話で)鎌倉市の消防所の三階に避難し、お迎えくるまで預かりますからと、そして非常食を食べて元気にしています、とのことを母親に連絡すること出来、娘も安心したようで、夜中12時すぎに引き取ったそうです。飛んで行って私が迎えに行ってあげられたらと本当につらい思いでした。

この間も余震が何度と起き、そのたびに私は玄関の扉を開けすぐ横の空き地に飛び出せるようにという行動をとりましたが、今思うとそれより食卓の下に入った方が安全だったかしら?と思っていますが、これは何とも分かりません。人間通常思っていた通りにはこんな時行動できないものだとつくずく思いました。

翌日からは水が止まりました。浴槽には水が入っていたのでトイレはそれで済みましたが飲料用はわずかしか蓄えなくその水を蓄えるためのタンクを手に入れるべくちょっと離れた場所にあるホームセンターに開店前に出かけると一部が開いていて運よく飲料水やら電池、ポリタンクを買うことが出来ました。開店一時間前、店員さんも次々出社してきて広い店内から必要と思われるものを次々集めてきてくれました。この素早い判断には感心しました。それ以降はどこの店も大騒ぎ。いかに早く行動できるか大切だとしりましたが、反面、素早く行動できない方々も大勢いてそのことも考えさせられます。

当地は原発から180kほど。ドイツ、フランスにいる妹たちからは連日電話があり日本にいるのが信じられないとこちらに来なさいとうれしい言葉。海外での報道の方がかなり厳しい見方をしているようです。人間63年やっているともう”今更ジタバタしても ”と思うのですが、孫たちのことを思うととても心配ではあります。

ここ茨木はこれから春の恵みの野菜が出回る頃です。たけのこも楽しみです。それが放射能のことで出回らなくなることが心配。 目に見えない相手だけにどうしようもない問題です。

このブログ書いている間も二階も揺れました。あれ以来我々二人完全に地震酔いになっています。ここ数日は震度4くらいではバタバタしなくなりました。茨木は結構被害が多かったのです。キャプテンの工場付近は田んぼもメチャメチャ。今年はお米も作れないでしょう。

工場は今も断水しています。2人いた中国上海工場からの実習生の一人は先週帰国。残りの一人は”日本にお世話になっているからがんばる”と工場内の寮で頑張っています。

皆で交代で自宅でお風呂を提供しています。社員の自宅がつぶれたりとかなり被害があったようです。

日がたつにつれ、記憶もあいまいになってくるのでこのブログに書くことで思いとどめておきたいと書き綴ります。思う事一杯ありますが、今は被災地の方々、特に若い人たちのこれからのがんばりを願いつつ 今回心配して連絡くださった方々に心からお礼申し上げます。とても心強く、うれしく思いました。

                     

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コメント

未曾有の大震災でしたね。
震源地には、我々よりはるかに近かいのでその後の影響もかなり有ったでしょうね。先ずは、親族皆無事で何よりです。
非常時のそれぞれの避難場所を親族で知っておく必要が有りますね。其方は大小の差こそあれ被災地です、生活に不便が有ると思います。何か有ったら遠慮無く行って下さい。

3月11日地震があったあの日工場で出荷作業をしてる最中でした。突然停電し直ぐに波に揺られてる様な不気味な揺れを感じ慌てて外へ逃げました。両親へ連絡が直ぐに付きましたが姉達は夜になってからやっと連絡取れました。北関東や南関ではまだまだ余震が続いてるので心配です。こんな時もっと近くに居られたらと胸が苦しくなります。とその後この富士市でも先日震度5強と直下型の地震がありましたが幸い1階のグラスが3つ割れただけで済みましたが震源が富士山の麓付近だったため噴火するのではないかとヒヤヒヤしました。山の方では瓦が落ちたり石垣が崩れたりと災害がありました。アパートの外に送電線の鉄塔が立ってるので倒れて来ないか心配です。そしてニュースでは買い占めによる物不足が騒がれてるのを見て富士市は大丈夫かと思いきや被災地でも無いのに買い占める人の群れが…被災地以外の場所の方が混乱状態に陥ってる様に見受けられ憤りを感じます。今回の地震でキャプテン一家に不幸が無かった事が何よりも幸せです。余震だけでなく原発の心配もあるのでまだまだ気を抜けませんが今自分に出来る事はやって行こうと思います。

まずは、親戚友人知人に

まずは、親戚友人知人が無事で良かったですね。いざという時にはなかなか頭が回らなかったり、体が動かなかったりするものですね。日頃の備えがいかに大事か痛感しました。

気の張った毎日で体がガチガチだと思いますが、体を動かしたり、DVD観たりして気分転換して下さいね。

なかなかこちらからは出向けないけど、状況が許せばこちらまで来て下さいね。
待ってます。

どうしたかと案じていました。お互い大変でした。私も無事です。計画停電で仕事が進みません。生活のリズムが来るって難儀してます。 被災地の模様は言葉も出ません。映像を見るたび胸が詰まります。先日、石巻の被災者の夫妻が来客でした。こちらに住む息子さんが迎えに行ってくれたそうです。旦那は携帯とキャッシュカードを持っていましたが奥さんは着の身着のままだったそうです。家も車も失ったと。

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