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2011年4月19日 (火)

北緯40度東端の地球村は残った

安全第一のいましめ。2度あることは3度ある。津波がきたら高い所へ逃げることは小さい頃から聞かされ、地震と津波は同時連動と教えられてきた・・・と

一刻も早く、一日も早く、漁業の復興を願っています。

過去の教訓を生かした譜代村(北緯40度東端の地球村)

▽・・・「まさか、こんなに巨大な津波が襲いかかるとは・・・」
明治8年3月3日の三陸沖から78年目の平成23年3月11日、その大惨事は現実になった。推定14-20メートルの巨大津波がすさまじい勢いで襲いかかり、一瞬で村内の漁港は壊滅状態になった。この東日本大震災による大津波を特集した岩手県譜代村の広報誌(ふだい:3月号)には写真とともに被災状況が掲載されており、記録として確実に後世に伝え残すと書かれている。

『広報ふだい:3月号』
http://orange.webdos.net/~kunohe/koho_fudai/2303/f2303.pdf

▽・・・「東北一の防波堤と水門」という大堤防が三千人の村を救った。三陸海岸の北部(北緯40度)にあり、“東端の地球村”と称している譜代村。漁業が盛んで良質のこんぶ若布の産地で有名だ。3月11日に発生した巨大地震、村でも大きな横揺れで震度5を観測した。そして、午後3時27分、巨大津波が襲い、漁港は壊滅した。だが、波は防波堤を1メートルほど乗り越えただけで、千世帯、三千人が住む集落まで来なかった。防波堤の内側にいた人の被害はゼロ、住宅への被害もなかった。

(普代全体でも人的な被害は他の県市町村の比べ、行方不明者含め3名と少なかったようです・・・)

▽・・・高さ15.5メートル、全長130メートルの防波堤と、同じ高さで全長200メートルの水門が人名と財産を救った。1970年(防波堤完成)と1984年(水門完成)は、1896年の「明治三陸大津波」で1010人の人の命を失ったことの教訓だ。 

●普代村堀内港の津波遡上高?

http://blog.fudai-products.com(Blog:普代村の散歩道より)

BLOGの作者は“写真から自然のすごさ、恐怖を感じて参りました・・・

昨日の岩手日報 Web.Newsによると、
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110416_3

「宮古の津波遡上38.9メートル 明治三陸超える」 

▽・・・東日本大震災の大津波で、陸地の斜面を駆け上がった津波の高さ「遡上(そじょう)高」が、宮古市・姉吉地区で明治三陸津波の最大値を上回る38・9メートルだったことが東京海洋大の調査で分かった。
  湾奥が狭くなるリアス式海岸では、遡上高が30メートルを超えた。宮古市・田老地区で37.9メートル、大船渡市三陸町綾里は30.1メートル、田野畑村・島越でも27.6メートルを観測。と書かれています。
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