最近のトラックバック

海賊フックとその一族

  • Img_0032_r
    海賊フック一族のアルバム 日常の生態をかいま見るとこが出来ます!!

ウェブページ

無料ブログはココログ

« 北緯40度東端の地球村は残った | トップページ | 我らが旗艦「タキオン」が優勝 »

2011年4月25日 (月)

今住んでいるところの歴史を振り返って

◇今住んでいる「龍ヶ崎の地」はどうなのか??地震に強いのか?あるいは、危ないのか?

太古の時代から人類が住み、その遺跡とか、古墳などがある地域は安全ななのだろう・・・と、

茨城南部、つくばの地質を研究している工学院の地質研究所に「地質標本館」(入場無料)があって、古代からの歴史的な研究記録があります。

●筑波稲敷台地から見た歴史年表
http://www.geocities.jp/itaka84/rekisi/nenpyouidx.htm
(色文字は筑波稲敷関係事項) かを調べた。

龍ヶ崎市は「筑波稲敷台地」に南に位置し、同じ台地の延長線上にあります。この台地は筑波山の南に広がり、北には土浦市との境界になる桜川、南西には小貝川、北東には霞ヶ浦に囲まれています。

(台地とは、一般に周囲より一段高く表面がほぼ平らな地形を言います。その多くが気候変動による海水面の低下や地盤の隆起、火山の噴出物の堆積によって形成された洪積台地からなります。長く荒地として放置されていましたが、近世以降かんがい設備の整備により農地として開発されたり、近代以降は大都市近郊では住宅地や大規模な工場用地としての利用が進んでいます。)

また、北に位置している「筑波山」は福島県の阿武隈山地から続く山なみの南端にあり、硬い地盤で地質は安定しています。(最近、土盛り造成したところは不安定ですが…)

関東平野は富士山の噴火で降った灰がつもった関東ローム層で覆われています。東京での関東ローム層は数百メートルあるそうですが、この辺りは二メートルくらいの厚さだそうです。この層は2万年から5万年前にかけて積もりました。

その下の地層は、古代鬼怒川が流れて作った砂と泥の層で、常総層と呼ばれ、6万年から12万年前に出来たといわれています。(数万年前というと、旧石器時代、人はいました)

常総層もその下は海でしたが、陸になって年月がたっていることから固くなり、液状化することはありません。また、「活断層」も見つかっていません。

しかし、地面はマグマの上に浮いている浮き島だそうです。大きく日本列島を見ると、南から「フィリピンプレート」、東からの「太平洋プレート」が、日本を載せている「ユーラシアプレート」の下に潜り込んでいます。あいにくフィリピンプレートと太平洋プレートがぶつかっているのが茨城県南部で、ちょうどこの辺りです。ですから、茨城県南部を震源とする地震は大小たくさん起きています。

特徴的なのは、震源が深いことで、30kmとか50kmあり、これくらい深いとエネルギーが分散するので、マグニチュードの割には震度は小さくなります。

恐ろしいのは海溝型の巨大地震です。かっての「関東大震災」(海溝型)は横浜方面が震源でしたが、この地も結構強い揺れにあったようです。

以上から、この地(龍ヶ崎)は地震に対しては良好である。首都圏では最善の土地ということになります。

皆さんも土地のルーツと時代時代の事件を研究するといろいろ見えてきますよ!!

◇東大地震研が首都圏直下型地震へ注意を呼び掛けている。今回の地震では内陸でも思わぬとところで「液状化現象」が起き、また津波にも襲われている。

今住んでいるところが長い歴史のなかで、自然に対し“どうだったのか?”、今一度、勉強し、来るであろう自然災害に備えてく必要があると思います。

●東日本大震災を引き起こした3月11日の巨大地震の影響で、茨城県南西部や東京湾北部、静岡県東部などの地域で地震が起こりやすくなっているとの解析結果を東京大地震研究所の研究グループがまとめ、22日発表した。政府が想定する首都圏直下型地震の震源域も含まれ、注意が必要と呼び掛けている。Pk2011042302100009_size0

 大きな地震が起こると地下の力のかかり方が変化し、周辺の活断層に影響を及ぼす。ひずみがたまる向きに力が加われば地震が発生しやすくなるが、逆にひずみが解放されれば地震は起きにくくなる。

 石辺岳男特任研究員(統計地震学)らは、1979年から2003年までに首都圏周辺で起きた約三万回の地震(マグニチュード2以上)で断層の動きを分析した。そして30キロ四方の領域ごとに、東日本大震災後に地震が起こりやすくなった断層がどれぐらいあるか調査した。

 その結果、震源が30~100キロと深い地震は、茨城県南西部と東京湾北部から千葉県東部にかけての地域で起こりやすくなり、震源30キロ以下の浅い地震は静岡県東部や神奈川県西部などで起こりやすくなっていることが分かった。

 石辺研究員は「これらの地域は実際、東日本大震災後に地震活動が活発になっている。備えを怠らないでほしい」と話している。

 政府の地震調査委員会では南関東一帯で今後30年間にマグニチュード(M)7級の地震が起きる確率を70%と評価している。

◇関東大震災は、龍ケ崎地震の2年後、1923年(大正12年)9月1日に発生している。

龍ケ崎地震は直下の地震、関東地震は海洋型の大地震。

両者に関連はないとは思うが…。

●「龍ケ崎地震」

龍ケ崎地震は、1921年(大正10年)12月8日発生、マグニチュードは7。龍ケ崎では、墓石が多く倒れ、田畑、道路に亀裂という地震で、甚大な被害、というわけではなかったようだ。

【茨城南部における地震危険度 】

地震は断層によって生じます.断層とは岩盤がある面を境にしてずれる現象です.地殻中にひずみが蓄積されて岩盤の強度を超えると断層破壊が生じて、ひずみのエネルギーが地震波として放出されるのです.地殻中にひずみを蓄積させる主力はプレートの運動です.プレートとは地球表面を厚さ100kmほどで覆う岩板で、十数枚ほど存在します.これらがお互いに押し合ったりずれ合ったりする境界で大きなひずみが生じて強い地震が頻発します。

   関東地方の地下には、大陸のプレートの下に東から太平洋プレートが沈み込み、さらに南方からフィリピン海プレートが太平洋プレートの上に潜り込んでいて、世界でも有数な地震頻発地帯になっています.太平洋プレートが沈み込むところが日本海溝、フィリピン海プレートが沈み込むところが相模トラフ・南海トラフで、これらはいわば巨大活断層です。Epicenter

 茨城南部に影響を与える地震には、(1)関東平野南部の地下で起こる直下型地震、(2)日本海溝の陸側の鹿島灘・福島沖で起こるプレート境界地震、(3)相模トラフで起こるプレート境界地震があります(図5).なお、この地域には活断層の存在は認められていない。
 
最も頻繁に起こっているのが(1)です.これは主として、フィリピン海プレートと太平洋プレートとが接触している付近で起こっています.接触面は地下50~70kmぐらいのところにあるので、震源の深さもそれくらいです。マグニチュード(M)は一般に5以下、せいぜい6クラスであり、震源がかなり深いため、地表での震度は5強までです.ただし震源が浅いと、1855年安政江戸地震(M6.9、死者4,700)のように局地的に大きな被害が生ずる可能性はあります.1921年のM7.0 の地震は龍ケ崎地震と名づけられていますが、実際の震央は阿見付近で深さは60kmでした.このMは被害の分布範囲などから推定したもので、実際はこれより0.5ほど小さいとしたほうが良いようです.

一般に、震度5強以上の強震域は震源断層からの距離がM7で30km程度、M8で100km程度です.震度5強では建物倒壊などの被害はわずかです.なお、1998年から震度は密に配置した震度計により決められることになり、震度5強以上など強い地震の回数がそれ以前に比べ数倍にも増加しています.

(2)は日本海溝での沈み込みによる地震で、ここはM8クラスの巨大地震が起こる場所ですが、これまでのところ最大のMは7.5です.震源からの距離は100km以上になるので、茨城南部での震度は5を超えることはないでしょう.同じ日本海溝沿いでも宮城・三陸沖ではM8の地震がたびたび発生しています.地震波は日本海溝に沿って南に伝わりやすいので、三陸~福島沖の地震でも茨城南部における震動はかなり強くなりますが、被害をもたらすほどにはなりません.

(3)は相模湾~房総南方沖で起こるM8の地震で、1923Hazardmap年関東地震、1703年元禄地震はこれです.相模湾域では85年前の関東地震によってひずみが解消されているので、ここ100~200年ぐらいは大きな地震は起こらないと考えられています.関東地震のときの茨城南部における被害はわずかで、龍ケ崎では被害規模から震度5強と推定されます.しかし関東平野の基盤が深い埼玉東部低地では、茨城南部よりも遠いところにおいても大きな被害が生じました.たとえば震央から90km離れた幸手では住家全壊率が30%近くで、震度6強以上の揺れでした.

海溝型の地震や内陸活断層の活動による地震の発生確率と、それらが起こった場合のそれぞれの地点における震度をマグニチュード・震源距離・地盤条件などから求めて、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図が日本全域について作成されています(図7).茨城南部ではこの確率は15%程度になっています.ただし、南関東におけるM7クラスの地震の頻度とその影響域をやや大きめにとっているように見受けられます.

○神戸地震でもテントや自炊道具がたいへん役に立ったようです。備えて、普段から庭で予行演習するのも楽しいと思います。

« 北緯40度東端の地球村は残った | トップページ | 我らが旗艦「タキオン」が優勝 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/145343/51493644

この記事へのトラックバック一覧です: 今住んでいるところの歴史を振り返って:

« 北緯40度東端の地球村は残った | トップページ | 我らが旗艦「タキオン」が優勝 »

最近の写真